八丈島旅行(その3)

 前方に見えるのが八丈富士ではなくいつの間にか三原山に変わっていると北半分の周遊も終盤である。よく整備されているがまるで人気のない道路からポツポツと車の気配が増え、八丈シーパークリゾートやリゾートシーピロス等のリゾートホテルなぞも登場する。 そのうち船が着いた底土周辺も視界に捉えられる。

 まっすぐ行けば底土に着くのだが、そのままキャンプサイトに戻るのもつまらないので左に進路をとり、神湊漁港へ向かう。 まあ、ここに限ったわけではないが、こうした離島の漁港ってのは外洋の水が流れ込んでるから水が非常に綺麗だし、わざわざ船で外に行かなくてもガンガン回遊魚が入ってきそうで、この漁港内で釣れる魚だけで十分一集落のおかずくらい賄えそうな勢いである。 ああ、ここで釣りしてぇ。

 さて、漁港に向かう途中なんとなく気になった看板があったので、大通りに戻る前にきっちり看板が出ている建物に向かう。一見コンクリート打ちっぱなしのそっけない倉庫のように見えるが、ここが泣く子も黙るくさや専門店「丸十水産」である。

 最初人の気配がないので首を傾げていたら別の離れのほうから店員さんがやってきて中へ案内してくれた。ドアを開けたら


      むわっ

あの独特のクサヤスメル。 作業中じゃないのにこの匂いとは恐れ入った。おそらくもう建物内部に染み込んでいるのだろう。 

 人を4〜5人入れておけそうな巨大な冷凍庫を開けて何種類もの製品を見せてもらったのだが、ムロアジくらいしか知らない素人を面食らわせるのに十分な商品ラインナップの多彩さだった。
 
 ムロアジはもちろんのこと、八丈特産のトビウオ(いわゆる春トビ)、巨大なサメのくさやまであるのだ。そして通常の生くさやとは別に、炭火で炙ってありそのままちぎって食べられる「ちぎりくさや」なんてものまである。 くさやだけでなく白子やら佃煮やら塩辛やら岩のりまで盛り沢山。 他に明日葉製品や酒まであり、お土産がほとんどここで揃ってしまいそうな勢い。

 とろあえず他の土産物屋も見てみたいので、ここではトビウオとムロアジのくさやを二つづつとちぎりくさやを2種類、他にクッション代わりに明日葉そばを一パック詰めてもらい、内地に配送してもらった。

 着いた初日の昼に土産物購入を済ませてしまうという荒業をこなした後、キャンプ地に戻るために再び走り出した。 そういやちゃんと朝飯を食べていないし、昼飯もまだなのでそろそろ腹が減ってきた。一度キャンプ地に戻ってから飯にしよう、と考えながら走っていると、左に看板が。

 底土野営場


( ゚д゚) ん?
 
(つд⊂)ゴシゴシ


    底土野営場

 
(;゚д゚) え?
 
(つд⊂)ゴシゴシゴシ


      底土野営場

  _, ._
(;゚ Д゚) …!?


 何のことはない。 オイラの早とちりであった。
 オイラが朝テントを張ったのは公園&海水浴場である、「底土園地」。正しいキャンプ場はこちらの「底土野営場」なのであった。

 中を覗いてみると地面は綺麗な芝生に周囲を木で囲まれており、海風の直撃は受けない優しいつくり。 トイレ、水シャワー、更衣室、炊事場と至れり尽くせりで、石垣島米原キャンプ場に勝るとも劣らぬ快適キャンプ場の様相を見せている。

 そうと判ったらあんなところに長居は無用。大急ぎで底土園地に戻り、最初のテントサイトを撤収して底土野営場にテントを張りなおした。

 しかしこのテント張りなおしのタイムロスのおかげですっかり昼メシ時を逃がしてしまった。 当初の予定では「夕食は自炊するにしても昼飯ぐらい旨い地物の魚定食でもガッツリ食べようじゃないの」等と考えていたのだが、めぼしいメシ屋はランチタイム後の休憩時間に入ってしまいどこも準備中の札。

 仕方がないのでスーパーマーケットで夕食用の食材調達とあわせて弁当を購入して遅い昼食を済ませた。 しかし何が悲しゅうて魚が旨い南の島まできて安いシャケ弁を喰わなきゃならんのだ。 走ってみるまでどこに何時ごろ着くか判らない自転車旅の難しさがここにある。

 そういえば昼食は外食か弁当と割り切っていた九州一周の時も昼飯時にコンビニひとつない山道に入ってしまい、メシを逃したことも少なからずあった。 あのときから「田舎道を走るときは11:30以降にCOOP(生協)を見つけたら迷わずそこで昼飯にしろ」という俺ガイドラインを作成したんだっけ。

 とりあえずおなかが落ち着くとやることがなくなってしまった。今から南半分を周ったり山に登るのは遅すぎるし、かといって海は冷たいから海水浴なんてできないし。 と、そこで乗船待合室でちょっと話した考古学好きオヤジの話で「歴史民俗資料館」というのがあるのを思い出し、時間を潰すにも丁度いいのでそこを見学することにした。

 再び島の中央通りを走り歴史民俗資料館へ。 ふるーい木造の分校みたいな建物に縄文から近代までの資料が年代別展示されているなかなか味わい深いところであった。

歴史民俗資料館八丈島歴史民俗資料館


 ここを見学して凄さを痛感させられてしまうのはやはり縄文人である。 あの流れの速い黒潮本流の中をアウトリガー付とはいえ丸木舟で本土と八丈島を行き来してしまうのだから。 まあ途中には大島、新島、神津島、三宅島、御蔵島といくつも島が見えるし、ちゃんと何箇所か経由してきたのだろうが、夜行船の10時間でぐったりしてしまう我が身を省みて恐れ入るばかりである。 しかしあの波のまにまに、どうやってワレモノキケンである土器なんざ運んできたのだろう。枯れ草クッションでも梱包したのかしら。

土器土器 本州のあっちこっちの場所から持ってきたらしい

 このほか、島流しにあった宇喜多秀家に纏わる品々や、江戸時代の流人に纏わる資料、明治〜昭和にかけての産業などの資料を見て周るといつの間にか閉館時間を大幅にオーバー。 とはいえそこは南の島のおおらかさ、追い立てられることもなくじっくり見せてもらった。 

昔の人が書いた八丈島風土記昔の人が書いた八丈島風土記。色使いがイカス!


 歴史民俗資料館を退出後、夕陽が綺麗ということで再び南原千畳敷へ向かったのだが、5:30ごろというのはまだ十分日が高い。おまけに海面近くには結構雲があり、1時間以上粘っったあげく綺麗な夕陽が見られないのも馬鹿馬鹿しいのであっさり諦めて底土野営場に戻ることにした。

宇喜多夫妻宇喜多秀家と豪姫の像。 そういや映画「豪姫」の主演は宮沢りえだったなんて事を思い出したりして。


 帰りがけになかなか大きくオシャレなリキュールショップを発見。「配送承ります」の張り紙で「これはお土産向きのものが沢山あるに違いない」と見当をつけたらビンゴビンゴ。島焼酎の試飲もできるなかなかステキなお店であった。 ここで友人向けに島焼酎お試しセットや明日葉そば、自分用に唐辛子しょうゆなどを購入。これでお土産購入は完全に完了。

 この後底土野営場に戻り、ラーメンにレトルト中華丼の具をぶち込む「インチキ五目うま煮ラーメン」の夕食を食し、まだちょっと食い足りないのでスライスソーセージをつまみにビールを一杯。一日ごとに泊まる場所を移動するキャンプツーリングだとどうしても重さを減らすために食べ物を削ったりするが(そもそも暑いと腐るし)、キャンプ地固定、しかもスーパーがそう遠くないところにあるとこうした贅沢ができるので嬉しい。なんか堕落のような気もしないでもないが。

 いい気分になったところで歯を磨き、ふと上を見上げるとおっそろしいぐらい満天の星。 早く寝てしまうのはちょっと勿体無いが明日はハードな南半分の予定だし、そそくさとテントにもぐりこんだ。 しかしここでも問題が。

 外洋から直にたたきつける波がテトラに

ぶち当たって砕ける際の轟音が気になって

目が覚めちゃった

 うーん困った困った。二日続けて寝不足か・・・。